8/26、はるばる来たのは松前町。北海道の最北端をポタリングの予定でしたが、急遽、最南端になりました。
まぁ、こちらも来てみたかったので楽しみです(^_^)v
松前町は北海道で唯一のお城があり、桜の名所としても全国的に有名ですね。
ではポタリングの続きを~~~

海沿いの道の駅から坂道をえっこらと漕いで、いや押して(笑)着きました松前城。

城の内部は資料館になってます。
こちらもペットOKでありがたや~~~~
撮影禁止の看板もなかったので、見づらいですが幾つかご紹介。

初代松前藩主 松前慶廣公肖像
なかなかのしゅっとした面持ちの方ですね。

函館戦争の絵図。

明治10年頃の写真のようです。栄えてますね~
入館したのが15時半頃というのもあったと思いますが、土曜日にもかかわらず城内は誰もおらず貸切りでした。
なんだか贅沢のような寂しいような~~~~

天守閣(復元)と本丸御門(現存)。
松前(福山)城メモ

松前家の初代藩主・松前慶広がこの地に築城したのは、1606(慶長11)年。その後の火災や修築などを経て
十七世藩主・松前崇広は1849(嘉永2)年、外国船の出没に備え津軽海峡の警備強化を図るため
幕府から築城を命ぜられ、城主大名になりました。設計は高崎藩の市川一学。一学は海防上から福山は無理であり
現在の函館山付近に築城するよう上申しますが、藩士たちは移転を好まず福山館を拡大して築城することに。
5年の歳月をかけ、1854(安政元)年9月に完成した松前福山城は、日本最後の日本式城郭になりました。
1941年に国宝に指定され、や開拓使の取り壊し太平洋戦争にもかろうじて残った天守閣でしたが
1949年役場から出火した飛び火により焼失。現在の天守閣は、町民の切なる願いと全国からの善意により
1961年に再建されたものです。

箱館戦争の時に打ち込まれた大砲の跡が残ってる石垣。
右端のえぐられた箇所や左部分の上下に黒っぽく丸くなってるのがそうみたいです。
そして「ブラタモリ」風!?に調べると緑色凝灰岩で亀甲積みだそうです。

てっち、来城記念!

ポタリング来城記念!(笑)

内堀と天守閣。

お城の北側は松前公園。

一角には古くからの歴史ある寺町があります。
例によって、ほぼ予習もせず行ってますが(^_^;) 復習!?をかねて少し説明です。

「松前神社」
1881年に建てられた松前藩の先祖に当る武田信広公をお祀りする神社。
現在の社殿は1923年に造られた総ヒノキ造りです。

「法源寺」
山門は1868年(明治元年)、箱館戦争の焼失から免れ、江戸時代中期の建造として
北海道では最も古いものの一つで重要文化財に指定されている。

「龍雲院」
龍神堂以外は唯一、箱館戦争の戦火を免れ、江戸時代のまま現在に残されてます。
松前にあるお寺の中では本堂建築は最古のもの。松前町の三大名桜一つの蝦夷霞桜があります。
また境内には北海道では珍しい白いタンポポも。

「光善寺」
1533年高山寺として開山した光善寺は1621年に高徳山光善寺に改称。
松前藩の奥方子供の菩提寺として栄えたお寺です。三大名桜の血脈桜があります。

桜の頃はさぞかし風情があって綺麗だと思われる寺町ですが、ピークは過ぎてましたが紫陽花もちらほらありました。
この路の先には松前藩主 松前家墓所。入ってもよさそうだったのでお参りさせて頂きました。
歴史好きのダンナは初めてお殿様の菩提をお参りしたと興奮!?でした(笑)
寺町ができたのは山側からの攻撃から城を護るため、寺を集めたのが始まりだそうです。
現在は公園内の外れのエリアを含めると8つのお寺があるようですが、焼失前は15程のお寺があったようです。
規模は小さいですが、北海道では唯一の城下町。ちょっと鎌倉の一角のようで風情があり、歴史を感じられました。
時間の都合で境内に入ったのは光善寺のみでしたが、いつか桜の時期にでもじっくり廻ってみたいですね(^_^)v

再び、道の駅付近に下りて夕日を観て~~~~
また、坂を上って~~~~~~



ライトアップを

時期外れだったので、寂しすぎる位に!?貸切り状態でしたが、あちらこちらに桜と思われる木

ぜひ、いつかピンク一色に染まるいにしえの景色をみてみたいなぁ~と思いました(^.^)/~~~
道南の旅、つづく!
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